Lecturer

講師紹介

東京・大阪・オンライン:私がパワー読解のすべての指導をしています

もしも今、お子さんの国語の成績に悩み、「このままで本当に間に合うのだろうか」と不安を抱えていらっしゃるなら、少しだけ私の話を聞いていただけないでしょうか。

高校3年生のとき、私は集中力をすっかり失い、学力も急激に落ち込んでいきました。大学受験の浪人が2年目に決まった日、私は死のうと思って、ふらふらと街を歩いていました。そんなときにたまたま出会ったのが「速読」でした。

半信半疑で始めたその速読が、私の人生を変えます。ほどなく代々木ゼミナールの模試で、英語・国語・日本史の偏差値が40から60まで一気に伸びたのです。あのとき胸に落ちてきた「読む力さえ戻れば、人はいつでも立て直せる」という確信は、今も私の指導の根っこにあります。

この経験から私は、学力をつかさどるすべての力は母国語運用力なのだと悟りました。中学の国語科教員になろうと甲南大学文学部国文学科(現・日本語日本文学科)へ進みましたが、教育実習で理想と現実のギャップに直面し、教員という道は断念します。それでも中学・高校国語科の教員免許だけは、手放さずに取得しました。

卒業後は外資系商社に就職したものの、どうしても子供に勉強を教えたいという気持ちを抑えられず、中国地方最大級の進学塾「鴎州塾」に飛び込みました。27歳で校舎長を任され、順調に見えたキャリアでしたが、一国一城の主になりたいという思いから塾を辞め、損害保険代理店主を目指して住友海上(現・三井住友海上)へ転職します。しかし、その挑戦は挫折に終わりました。学習塾業界へ戻り、全国規模の「能開センター」で受験指導に打ち込んだ矢先には、今度はC型肝炎を患い、治療のためにやむなく現場を離れることになります。体調を取り戻したのち、当時尼崎・伊丹地区でトップの実績を誇っていた「木村塾」で、私はもう一度指導の場に立ちました。

何度立ち止まっても、私はそのたびに教育の現場へ戻ってきました。それは、あの浪人生のときに速読が私を救ってくれた瞬間を、どうしても忘れられなかったからだと思います。2005年、私はついに学習塾経営者として独立しました。専門家の力を借りず、速読で得た知識だけで有限会社を設立し、当時開いていた個人塾の中でひとつの別部門として2012年に大阪速読研究所(現・パワー読解®)を開業しました。

そこからの10年、2012年から2022年までは、目の前の生徒一人ひとりと向き合いながら、ひたすら指導法を練り上げた時間でした。

まず取り組んだのは、文章が読めずに苦しんでいる子どもでも実践できる速読を、どう形にするかということでした。そして「速く読む」ことと「深く読む」ことは決して矛盾しないという確信のもとに、その二つを融合させる方法を研究し、実践を重ねました。

同時にこだわり続けたのは、宿題を一切出さずに読解力を伸ばし、国語の偏差値をグイグイ上げる方法です。さらに、中学受験の国語という特殊な出題傾向に完全に合わせた指導法を作り上げ、最後にオンライン指導の質と効果を、教室での対面指導と完全に同じ水準にそろえる方法を確立しました。この地道な積み重ねがあったからこそ、単に速く読めるだけでなく、読解力そのものを伸ばす指導法として、パワー読解®の土台が完成したのです。

そして2023年、大阪だけで積み上げてきたこの指導法を、東京・新宿(代々木)にも広げ、パワー読解®東京として指導を開始しました。あわせてオンライン指導も本格的にスタートし、大阪や東京から離れたご家庭のお子さんにも、教室と変わらない質の授業をお届けできるようになりました。

だからこそ、今お子さんの国語の成績に悩んでいるご家庭の気持ちが、私には他人事に思えないのです。速く読めるだけでなく、しっかりとした読解力を育てることで、これまで数多くの成績改善を実現してきました。現在は小学4年生から6年生までの中学受験国語に特化し、「ずっと悩み続けていた国語の成績が伸びた」「無理だと思っていた中学に合格した」というご家庭の声を、これからも一つひとつ増やしていきたいと思っています。

かつて速読に救われた一人として、今度は私が、悩んでいるお子さんとご家庭を支える存在になりたい——それが、私がパワー読解®を続けている理由です。

東京・大阪・オンラインのすべての指導は私が責任をもってお一人お一人の特性に合わせて行っております。


パワー読解® 今津 大輔